けいまさんですけど

死ぬ気でやってりゃ、そりゃ死ぬわ

はじめに

最近まとまったブログ書いてないっすね。。。良くない。

もっと自分をアピールしていかなければ駄目なんだが、リハビリがてらブログを書いてみる。

マチアソビ行ってきた

ちょっと特殊な形でマチアソビに参加していた。非常に良かった。

眉山山頂で日光に当たりすぎて顔面が焦げた。ビビった。

マチアソビの良さは、あらゆる面で非常に緩いこと。これは資金面とか人的リソースという面で仕方ない面もあるんだけど、その緩さを観衆も含めた関係者一同で守ろうとするのが良い。

(尤も、そのあたりの事情をよく知らない方々が緩さを壊してしまうところがあって難しい。暗黙的なものなので、知らない人にとってはそりゃ知らんがな、という事情も理解できるので、そういう問題が出てきたということはかなりメジャー化してきたということの現れなんだろうなぁ)

幾原邦彦と庵野秀明と星野リリィの対談

今回、一番印象に残っているイベントは、幾原邦彦と庵野秀明、星野リリィの対談。渋い。

マチアソビで幾原邦彦と庵野秀明、星野リリィの対談を聞いたのだけど、そのときに庵野さんが「個性を出すということは(東映という)組織には必要とされていない」ということを言ってた気がする。
詳細は覚えてない、俺はこういう風に受け取った。

会社としてのルーチンやスキームにはめていけば収益は保証されるということで、これに逸脱することは許されない。まぁ確かに合理的である。ただ、これは「経営者目線での合理的」である。

IT系業界と人月

IT系業界におけるプロジェクトの大きさとか作業量を表す単位で「人月」というワードがある。ひとりの人間が1ヶ月かかる仕事量を1人月。10人が6ヶ月かかるならば60人月。

この単位はプロジェクトの規模を経営者なり営業担当者が"特殊事情をそぎ落として"勘案するには非常に便利な言葉だと思う。

けれど、微妙な感じである。全員の能力がすべからず一定であれば成り立つと思うが、そうではない。そもそも、俺と俺より優れた人の1ヶ月あたりの生産性であれば、俺のほうが少なくなるに決まっている。俺と俺より劣った人であれば、俺のほうが多くなる。それを平均化してまとめて10人月だ何だと言われれば、能力的に優れた人は優れている部分を評価してもらえないし、劣っている人にとっては高いハードルとなる。場合によっては連日の残業必至である。土日?なんですかねそれは状態。

思うに、ちゃんと人物の得意不得意を考慮できるマネージャであれば人月での丸め込みはしないと勝手に思っている(とはいえ営業担当や経営者や外部とのやりとりで人月という言葉を使う可能性はあるだろう)。もっと言えば、世の中には人月で判断できない生産性を出す人がいる。そういう人をプロジェクトに組み込む意義なりを理解している人間というのはどのくらいいるのだろうか。ともあれ、人月という単位で人を評価し続ける限り、没個性化していくと思う。そこから良いアイデアが生まれるとは思わない。「お前はプログラムを書くためのモジュールなのだ、我々は10のモジュールを6ヶ月稼働させて60人月分のプロジェクトを成功させるのだ!」

俺はIT系業界で仕事をしていて、おおよそ人月で図るには微妙なスキルばかり持っている。だいたいのポピュラーな言語はそれなりにこなせるが、けれど広く浅くなので速度が出ない。そういう意味で自分を人月単位に当てはめれば雑魚そのものである。ただ、JenkinsなりGitなりを使ってビルド環境を構築したり、業務支援ツールをこさえてみたりするというのは、人月に含まれない概念だと思う(そして直接的に組織の利益に関与するわけでもないのでなかなか評価して貰えない)。そういう方向性ばかり強くなってしまった自分にとっては人月という言葉に支配された世界はアウェイな環境だった。

ちょっと話が横道にそれてしまったけれども、自分の強みやアピールポイントがはっきりと分かっていて、その強みを生かして働きたい場合、多くの大きな組織にいることでミスマッチを起こしてお互い損をすると思う。重大な問題が出る前に早くその組織から抜けてアピールポイントを生かせる場に行くほうが良いのかも知れない。あるいはフリーランスとして活動するとか。(ただ、土地という鎖に縛られている人もいる。これは別の機会があれば書きたいけれど、都心部ほど地方は職業選択の自由がない。)

ともあれ自分にとっても何が正解かはよく分からない。人それぞれだとも思う。けれど自分にとっては人月という言葉はいろいろあってNGワードになってしまった。やれやれ。

影響を受けた記事

こういう真面目なこと書くのは、以下のブログを読んだからです。

俺は今はAndroidアプリエンジニアとして活動してますが、高校・大学時代はもっぱらウェブエンジニア的側面のほうが強かったりして、結果いろんなことを知ったり適用できています。それでも知らない世界は広い。

ともあれ、自分の方向性とかを考えなければならないのだけど、自分の創作意欲の根底にある「人を幸せな気持ちにするものづくり」というところはずっとあって、それはかなり原始的な考えで、でも原始的であるからこそ揺るぎなくて強くて。

自分が「一人月」で満足か

人月より、人間がスケールする方を選ぶし、その手段をとる

この見出し文は2013年上半期の自分に対する苛立ちへの回答そのものだと思った。

ルーチンは人月によって解決できるが、そもそもルーチンのタスクはプログラマがコードによって解決するべきであるし、実際にそうされてきた。それを認めないのは非生産的な場所にいた人間の自己保身であると思っている。

これは2013年上半期の周囲に対する苛立ちとか怒りへの回答そのものだと思った。