disとはdisrespectの略であるらしい。
でもdisappointmentもdisって付くね。どーでもいいですが。
俺もかなりあちこちをdisったりする人間ではありますが、
いろいろあるdisる理由の一つに、
「あなたはこのくらいできる(ことが要求されている)のに、それが出来ていないのはおかしい」
というものがある。
例えば、今までは静的リンクで一般的な使い心地であった大学のシラバス検索が、
突如として検索システムを介さないとリストアップもできなくなり、
その肝心の検索システムも重大な欠陥をもっているという、最悪なシステムに生まれ変わった。
前年度のシステムを使えば良いのに、大学の基盤システムの入れ替わりと同時に
色々なところを刷新しようとした結果、ろくでもないものが生まれてしまった。
「今まで出来たことが出来なくなったのはおかしい」というdis。徳島大学、君のことだよ :)
実際に当人が(それを言っている当人が、言われている当人が)出来るかどうかはさておき、
我々の要求をうまくかなえることが出来ていないなら、十分disられる理由となる。
SPモードメールもその一例かな?
(ただね。。。大学の教務システムと、使わなくとも問題ないキャリアメールだと、
いろいろ話のレベルが変わるんですよね。。。
教務システムは単位に関わるので結構厳しめに接しておりますが。。。)
けれども、俺がdisるにあたって気をつけることとして、
「相手のレベルに対してそれが妥当かどうか」がある。
赤ん坊をとっ捕まえて、「お前は挨拶も出来ないのか!」って怒るのはキチガイである。
それが新卒の社会人であれば、まぁわりかし相手が怒るのも妥当かなとも思える。
(細かいシチュエーションはあんまり考えてないです。「まぁそんなもんかな」ってご理解頂ければ幸いです)
大学のシステムもキャリアメールのシステムも、大きな組織なのだからそのくらい出来て、という考えがあると思うのですが、
それを個人のレイヤーにしたとき、同じ事象も適用できたり出来なかったりがあります。
コンビニの店員が店内のすべてを知っているだろう、というのはお客さんが思いがちなことですが、
コンビニもそれなりに分業が進んでおり、普通に知らないこともたくさんあります。
コンビニ店員をやってみてそういうのが分かるようになってきて、
コンビニ店員をワンワン怒鳴っている人を非番のときに見たりすると、
ああこの人はなんもわかってねーな、って思うときもあります。
本当に店員さんが無能なときもありますが。
ここまでは序論ですが、
ここからコアな話に入るので、ちょっと第三者の方には謎な話が入ります。
俺は寮生に自分のセンスをひけらかすことはあれ、それを他人に強いたことはない。
だって彼らは、引きこもってパソコンばかり触っていたわけじゃない。
俺はパソコンを使うことが出来るが、それと引き替えに人間性を損なっている。
他の人たちはパソコンをうまく使えないけれど、素晴らしい人間性を持っている。
もし俺が他の寮生をパソコン方面でdisったなら、そのdisったぶんに人数を積した数だけ
俺の人間性をdisられることになるだろう。
さきの例えに当てはめるなら、
「相手のレベルが妥当ではないからそれを要求するのは酷である」
ということ。
だから俺はパソコンが出来ない一般人をdisらない。disれない。
けれども、とある誰かが、それも割と身内がそれをやっているのを見るに付け、
そして僕が少しばかり期待して接していた人物がそれをしているのをみて、
本当に失望した。本当に。
彼は、やってはいけないことをやっている。
それは、ほんのちょっと出来る程度で他人を見下すくらいの世間知らずだから成せる業だと思う。
それは、ものづくりの人間がやっていいことではないと俺は思う。
ものづくりの人間は、ものを使う人のことを考えなきゃいけない。
同じ使う側に甘んじ、ちょっと道具をうまく使える程度で、
その技ををシェアすることもなく、ただ他人をdisるだけ。ばかげている!
一瞬でも彼に希望を見いだそうとした自分が腹立たしくも思う。
本当に失望した。