オープンセミナー岡山に参加した。 午前はテクニカルな話題で勉強になり、 午後からは技術者としてどうあるべきか、どう思考するべきか、ということを 和田卓人さん、小飼弾さんから学んだ。 1年後の自分の立場から、自分がどうあるべきかというのを この数ヶ月くらい思案しているなかでOSO2012に 参加できたことは大変有意義に感じられた。

さて、懇親会で高校生が参加していることに気がついた。 気がついたというか、そりゃ久々のティーンエイジャーだったので、 おじさま達のテンションが上がっていたのを感じたのですが。 俺も2年か3年くらい前に忘年会議にyukotanさんとご同行させて頂いたときは、 色々とためになるLTを拝見することが出来、なぜだかLTを一本ぶつことになり、 きっちり5分で終わらせることが出来たことを山下さんに褒めて頂いた、等を覚えている。

で、そんな将来有望な高校生を見ていて、自分の高校時代を少し思い出した。 高校時代、1年の時はすべてがうまくいっていて、2年の時はすべてがうまくいかなくなり、 3年のときにすべてを再構築し直して大学進学を果たす、という流れなのだけど、 その詳細についてはTumblrで語るには狭いのでまたの機会として、 高校時代の進路選択に焦点を絞って書いてみようと思う。

これはあくまで俺の経験による、俺の技能からみた感想的文章なので、 万人に当てはまるわけじゃない。あくまで、俺はこうだった、それだけの文章。

高校に入って半年か1年くらい過ぎて、うっすら自分がどうあるべきか考える時期にあった。 我が母校は、半年に一度、学校に親と同伴して登校し、三者面談を行うのだけど、 そんな時期に俺は、専門学校への進学を考えていた。

専門学校だと、自分がやりたいことを徹底的にできる。四年制大学だと、自分がやりたくないことも「させられる」わけで(単位選択である程度制御できるが、実際に国立大学にいる俺から言わせればそんなもん幻想である)、それは自分の夢であったプログラマー(笑)になるという夢 を実現するのに遠回りではないかと思った。

それを親に話すと、「最終的にはお前が決断すべきことだが」と前置きした上で、専門学校進学を反対された。「男なのだったら四年制大学を出ていた方が良い、つぶしも効く」と。

当時の俺は、なにが「つぶし」なのか理解できなかった。サッカー選手などの身体資本な職業であれば、つぶしも必要だと思う。けれど、プログラマーは知的労働である。脳や四肢に障害を負わない限り仕事は出来る。というかそんな状態だとまともに生活も出来ない。 そして、プログラマーは専門学校を卒業している人でも十分な地位を持っている人がいるということを知っていたので、やはり四年制大学を出ることが遠回りであると感じられた。 ある意味では、情報産業に対する世間知らずの親の言うことなど無視していたのかも知れない。

けれど、当時の担任も(優しい先生であったので)やんわりと専門学校に進むことを勧めず、四年制大学への進学を勧めた。親の言うことは話半分で、担任の言うことは素直に聞き入れるというのはどうなのかとも思うが、当時の俺はとりあえずこんなだった。

そして、高校3年生に進級した。 その時においても自分がどうあるべきなのか決めかねていたが、専門学校に行こうと考えることはなかった。 そんな折りに物理の先生が入れ替わりで着任された。 その先生が、国立大学進学のメリットをひたすら説明してくれた。 教授1人あたりの生徒数であるとか、学費とか、とにかくいろいろお話ししてくださった。奈良県から地方国公立大学を狙うと、どうしても遠方になるのがネックだ、とも。けれど遠方に行くことはあまり抵抗がなかったので、俺は国立大学を狙うことにした。 俺の進路をその先生に託し(というと変な話だが、とりあえずこの先生の言うことは信用しようと思ったのは確か)、1年近く全力で勉強をし、センター試験当日は国立大学を狙える点数を出して、現在の大学に入学した。

そして大学4年の今、進路選択の時の自分を振り返ると、自分が最終的に選んだ進路である「地方国立大学進学」は正解だったと思う。 でも最良の答えではないとも思っている。あくまで、あの当時俺が選択することができた選択肢の中では正解の一つを選ぶことが出来たのかな、と。

そもそも当時の俺は、プログラマーに誤解を抱いていた。 専門学校を出たら「プログラマー」になれると思っていた。ちがう。 専門学校を【惰性で】卒業してなれる「プログラマー」は、ただのパソコンがちょっと得意な人なのだと思う。 専門学校の出身であれ、国立大学の出身であれ、高卒であれ、有名なエンジニアはいる。そして有名な人は努力をしている。きっと惰性で有名になったわけじゃない。 そういう人は、専門的な知識を得るための努力とか、経験を繋ぐ発想や思考を欠かすことはなかったと思う。 小中高と惰性で学業を行い、でもパソコンの知識は誰に言われるまでもなく勉強していた当時の俺は、「専門学校に行けば惰性で、誰かからいろいろ指図されながらプログラミングの知識を学べる」と思ったのかも知れない。 実際のところ、国立大学に入って専門的な知識を指図されて教わることは全くなかった。興味あることは自ら仕入れてくるしかなかった。 たぶん専門学校も、確かに卒業までに一定水準の何かにはなることが出来るんだと思うけれど、それだけでは本当にパソコンできる人止まりなんだろう。

では何故「地方国立大学」を選んだことは正解だと思ったのか。 「専門学校」でも結局自ら知識を得なければいけないじゃないか、と。 俺が思う、地方国立大学を選択するメリット(の一部)は以下の通り。

*学費が安いこと *地元からの一切のしがらみを排除できること *周囲比較して、逆の焦りを感じることが出来る。

学費については言わずもがなである。 重要な点として、都市部の有名大学だと平均くらいでも、地方では上の下くらいには位置できるため、授業料免除や様々な選考で優位に立つことができる。このメリットだけで地方国立大学を選ぶ価値は十分にある。

一切のしがらみを排除出来る、これは人によってはデメリットだと思うのだけど、俺にとってはそうではなかった。地元の人が嫌いだったわけではないのだけど、ともかく俺にはこの点はメリットである。

そして、周囲との比較で逆の焦り。「周囲にスゴい人がいるので追いつこう」というのは普通の発想で、それも確かに経験したのだけど、「周囲がイマイチなのでもっと外に出なければ」という強迫観念も経験した。 つまるところ、奈良という土地から地方大学へ飛び出して、さらに別の場所に飛び出そうとあがいた。 これは非常に効果的だった。世界の広さをまざまざと見せつけられた。 そして、いつか自分もかくありたいと思うようになった。オープンセミナー岡山でもそう思った。 外の世界に出ることは本当に大事だと痛感した。

小飼弾さんの発表で、「点と点を繋ぐ」というジョブズの言葉を引用して語られていたのが印象的だった。 点そのものをおおっぴらにして、パス(線分)に価値を見いだせ、と俺の中で結論に達したのだけど、 「地元」と「地方大学」を繋ぐ「地方大学への進学」という行動は、俺の中では非常に価値があったと思う。 それだけに、高校3年で必死に勉強したことは今更ながら良くやったと思うし、 もっと頑張っていればもっと面白いことになったのかな、とも思う。でも後悔はない。