もしも歩道で倒れている老人がいれば、
近づいて大丈夫ですか、と一言かけるのは当然だと思います。
自分が忙しければ、という条件がついたら判断別れるかもしれないですが、
時間に余裕があれば異論なしと思います。
けれど、上記のようなパターンというのはだいたい珍しい例です。
高齢のご夫妻のうち旦那さんが横断歩道で動けなくなっていたのを、
母と助けたことはありますが。
まぁいづれにせよ老人がうずくまっていたり転倒していれば、
周囲に介護者がいなければ助けに行きますよね。ですよね。
じゃあ、介護者(それも20代くらいの)がいたら、どうしますか?
今日遭遇した出来事。
歩道で老人が倒れている。
周囲には老人の奥様らしき人と、その息子さんらしき人。
自分はマクドナルドに行こうとしている暇人。
まず僕は静観していました。
だって息子さんがいるし、若いなら電話して救急にも対応できると思ったから。
けれど様子がおかしいのです。なんというか、うろたえているのです。
歩道の真ん中あたりで転倒していたので、僕が息子さんの立場なら歩道の片側に移動させます。
でも、そういう対応もしていなかった。
ここで、「動かないとマズイかもしれない」と思いました。
老人と息子さんに近づき、「大丈夫ですか、いけますか、救急車呼びましょうか」と声をかけました。
息子さんと老人の奥様が何か話していましたが覚えていません。
その後、奥様が、「家が近いので大丈夫です」と仰り、おふたりが老人を抱えて移動し始めました。
僕は少々不安を覚えましたが、そう仰っているので、元々の目的に戻りました。
この出来事、ちょっと後味が悪い。
- 自分の対応はこれでよかったのか?
- だとするとどう振る舞うのが良かったのか?
- 息子さんは何故うろたえていたのだろう?
自分が「大丈夫ですか、いけますか」と声をかけたのだけど、これは失敗したかもしれないな、と。
大丈夫ですかと尋ねて「はい」って答えるのは日本人に多いじゃないですか。「いいえ」が帰ってくるほうが珍しい。では、どう尋ねればよかったのだろう、って思うわけですね。
そして、息子さんのうろたえっぷりと言うか、なんというか行動の甘さには疑問だけど、
じゃあ自分が数十年後にそういう立場になったらどうなん?とも思ったりで、
何といいますか、やりきれないっすね。